◆秘境紀行(3)奥只見
2日目の朝は5時に起床。昨夜は檜枝岐村の外れ、尾瀬に向かう国道沿いにあるキリンテ地区のキャンプ場に泊まった。数軒のサイトが隣り合って並ぶが、いずれも低料金で素晴らしい自然環境が保たれている。標高1000mの高原は涼しく、空気は澄み、隣を流れる檜枝岐川のせせらぎだけが森の中に心地良く響いていた。手早く朝食を済ませると、7時には出走開始。今日の行程は東日本きっての難路、奥只見樹海ラインを抜ける県境越えのルート。人の侵入を拒むような、深山幽谷の秘境が待ち構えている。
キャンプ場に面した国道352号線を西へ向かうと、尾瀬に至る峠道が始まる。九十九折の坂道はきついが、周囲は日光国立公園の美しいブナ林に覆われている。今日の空は雲があるものの晴天で、湿度が高い。汗で水浸しになりながら約1時間、10km弱で峠に相当する御池(みいけ)駐車場に到着。休憩所や土産物店を兼ねたロッジが2軒あり、尾瀬・沼山峠に向かう観光バスが次々とハイカーたちを吐き出していた。
30分ほどの休憩と散策の後、峠道を下り始める。北に大杉岳、南に燧ヶ岳(ひうちがたけ)を頂く御池は、地理学上も列記とした峠だと思うが、名称が無いのは古来より人間の往来が無かったためであろうか。標高1500mの森林に霧雨が降っている。しばらく下ると、只見川上流の美しい流れを眼下に望む。透き通った水を良く眺めることができる橋を渡ると、唐突に新潟県湯之谷村の標識が現れた。この妙な県境、古くは越後と陸奥との国境線は、銀山所有を巡る越後高田藩と会津藩との争いに端を発しているのだという。
17世紀の昔、湯之谷村の百姓が只見川で銀鉱石を発見、幕府の命令により越後高田藩が銀山経営に乗り出すことになった。一方で会津藩は、只見川流域は会津藩領だとして採掘をやめるように主張して裁判となり、結局は只見川の流心を国境とすることで収まったそうな。確かに地図を見れば、只見川は会津盆地を流れる阿賀川の源流であって、会津藩の主張に理があるように思えるが、政治とはしばしば理不尽なものである。元来ここが人跡未踏の土地であったことを物語るエピソードではないだろうか。

新潟県に入り、猫の額ほどの蕎麦畑や山荘が固まる奥銀山の一角を過ぎると、道路はいよいよ30km以上に及ぶ無人郷へと突入する。日本一の貯水量を誇るダム湖に沿うようにして設けられたこのルートは、湖畔に迫り出した山裾を乗り越え、深くえぐれたV字谷にへばりつき、僻遠の大自然を少しずつ切り開きながら進んでいく。遠くの山は群青色に彩られ、近くの山々は濃緑の樹海にびっしりと覆われている。只見川の清流はひどく濁った湖水へと変わり、見渡す限り寒色の世界。
山道は全線に渡って1車線半ほどの難路が続き、大型車と二輪車の通行を禁止している。両端を険しい峠に閉ざされ、緊急車両が容易に辿り着けない辺境ゆえか。法律上、自転車は通行規制の対象外だが、わずかなトラブルですら命取りになりかねず、神経を磨り減らす旅路が続く。湖畔に少なくとも3箇所ある峠のうち、最初のひとつを越えると、下りの途中で急に大粒の雨が降り出した。ここから再び4kmほどの峠道。一向に距離が稼げず、空腹も相まってだんだんと気が滅入ってくる。

新潟県境からほぼ休みなしで走り続けて3時間、ようやく奥只見湖の西端にある集落、銀山平に辿り着いた頃には、既に正午を回っていた。久々に目にする自販機の前でジュースをがぶ飲みする。幸いにも雨は長引かず、進行方向である西の空に晴れ間が見えている。ここ銀山平もまた、秘境ならではの伝説に彩られた集落であった。平安の昔、平清盛に都を追われた公卿がこの地へ落ち延び、再興を果たすことなく散っていった。彼の名は尾瀬三郎という。驕る平家は久しからず、歴史とは皮肉なものである。
(つづく)
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